ピリから

あっという間に新年が始まって

あっという間に一か月が、

通り過ぎてしまった。

 

昨年一年ほぼ毎日のように

言ってしまっていた口癖がある。

そいつの名は

「めんどうくさい。」

ほとんど何かあるとこの言葉を

口にしまっていて

自分でも

「よくないだろうな〜。」

「いやいや、でもこのくらい

言わなきゃストレス溜まる。」

と思いながら 

どのシーンでも使ってしまっていた。

 

が、しかし

 

やはり 発していて「あまりよくない言葉」

という自覚があるだけに

違う言い方に変えました。

 

その名も

「ピリから」

 

 

「あ〜っ、これもやらなきゃいけなかった。

ピリからだなぁ〜。」

 

「えっ、これ何日までに

やらなきゃいけないの?ピリから」

 

他者が聞いたら

意味不明だと思うけども

ほぼ家の中で使うからいいの。

 

そしてこの表現で

妙にしっくりする。

 

「あ〜あ!!明日もピリからだなぁ!!」

 

いい言葉見つけた。

 

 

教え。

初めて就職した先は パチンコ屋だった。

当時パチンコ屋に入った事をした事もないのに就職先に選んだ理由は色々あった。

そして、社会人の厳しさを全然知らずに入り

結局数ヶ月で辞めてしまった。

社会を甘く見ていた自分が恥ずかしい。

せっかく入社させてもらったのに。

その後あちこち仕事したが福利厚生ももちろんお給料も超えるような仕事にはつけないまま主婦になってしまった。

 

その初めての就職先で店長に教えてもらった言葉を辞めてから何年経っても何回も反芻して思い出させられる事がよくある。

 

「気になったら 声掛けて。」

ピヨピヨの私達を心配そうに見守る先輩達に

インカムで何回も店長が言っていた言葉。

「気になってんのに 何にもしなかったら意味ないから 気になったらとりあえず声掛けてあげて。」

 

何に対しても気になったからって声をかける事ができる訳ではないけど

子育て主婦の日常の中でも

この言葉がよく思い出され それが原動力になったりしている。

 

 

あと

 

「もし自分がお客さんの立場になった時でも

 来たい。と思えるお店であるかどうか。」

この言葉は接客業の仕事につくたびによくおもいだされる。

 

震災のあと服屋の店員のバイトを始めた時

あまりにも職場の人間に対しての態度が

塩すぎて 驚いた。

接客業をするのは初めてではなかったが。

 

なんで 人が居なくて求人をかけて人を採用するのに

いざ 新しい人がくると面倒臭そうに教えたり

わざと厳しく当たったり 人見知り感を出すのはいつも私の中での謎。

 

でも よくある(。-_-。)

 

よく求人が出されている職場はそれなりの理由があり。

色々な人がいるから。と割り切るしかない。

 

接客業なのに働く自分達が逆の立場になった時の事は考えない。

「やっつけ仕事。」感。

何時間も一緒に仕事するなら

お互い気持ちがいい方が絶対いいのに

価値観がちがうから「敵」みたいな

感覚をだしてしまうのかな。

 

出来ないから教える訳だし

求人したから新しく入る訳だし

あなたも私も 人間よ?

育ってきた環境が違うから

価値観が違うのは当たり前じゃない?

あなたも私も 守ってもらって育ててもらったから大人になれた。

みんな尊い人間なんだよ。

 

一人で生きて大きくなった訳ではない。

だから

自分が気に入らないからと言って

否定したり 怒ったり 嫌な気分にさせるのは

なんの意味も無いと思う。

 

お互い気持ち良くっていうのは

どうして難しいのか。

 

私は私の価値基準。

あなたはあなたの価値基準。

 

価値に思う事が違う

ただそれだけの事。

 

自分にとってどんな自分で居るのが心地よいか

自分がどんな人間だったら

あなたは友達になりたいと思える人でいられるのか そんな事を今日は思うのですよ。

 

パチンコ屋の職場は

人を大事にしてたんだなって感じるのは

当時から数年後の話し。

 

★タロット★ 自分の目標 なりたい未来

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★選んだカード、、、女帝★


自分自身の輝きを手にして
実りを多く 豊かに育て
余裕を持ち 心優雅に暮らしたい。

〜シャッフル〜

★現状  隠者(逆)

知識を学ぶだけでなく
そろそろ活用していいんちゃう?

持っている希望 どうします?

 

★周りの環境 サポート 太陽

人の目って怖いけど

意外と皆んな優しいかもよ。
ヘラッとして自分の進みたい道を
ゆっくり歩こう

怖くなったら 隠れてもいいんだよ。

 

★行動のヒント 愚者

自由に風を感じ
気の向くまま

失敗しに行ってみよう。

愚かな自分も認めてあげよう。

 

必要な時は周りがちゃんと教えてくれるよ。

 

★心構えヒント 悪魔

自由が利かなくても
留まる事も良しとして

それもちゃんと意味がある。

急がば回れ

 

★隠された鍵 節制

何事もバランスが大事。

まずは自分のをコントロールしよう。

行こうと思えばいつでも飛び立てるんや。

目標までまだ道のりはあるけども

ちゃんと行ける 道筋も通ってる。

 

大事にしてきた物を

自分の モノ に出来る様に 

色々な使い方を試して

もっと慣れていこう。

 

 

 

☆魂占い☆

元気が湧いてこないんだよ。

この間までめちゃやる気起きてたのに、

しぼんでしまって

面倒くさい事ばっかり増えて

疲れる事ばっかり増えて

 

一生懸命にやっても 報われる事は難しく

聞こえるのは ため息ばかり。

 

口角もなかなかあがらなくて 

どんどん老けちまうよ。

 

心の余裕がどんどんなくなり

凄く疲れやすい中

 

占い師の師匠

まゆちん先生が「魂占い」

という本を出したと。

 

「今 そんな本とか読む余裕も元気もないし、

あちこち 書店回らなきゃみつからないよ。」

 

と思ってたら

すんなり見つけました。

 

しかも 表紙 超可愛い♡

 

「シンドイなぁ。耐えろって事なのかなぁ。」

とモヤモヤしてる今こそ

 

私の原点 「魂」 について考えてみるのは

いいかも。

 

ゆっくり 1人時間をつくって読みたいとこだけど。

これまた 春休み中の子供達

昼は1人になるなんて皆無(´-`).。oO

 

夜こそ 1人でと思ったけど 

帰ってきた夫が 苛立ちをアピール

(多分 会社ストレス)

とても大好きなお友達から久しぶりに電話も

かかってきたのに

 

目の前を 苛立ちながら右往左往する夫の姿に

電話 集中できず(´-`).。oO

 

私は家で満足に友達とも電話できないの?

 

 

私 穏やかに過ごせるようにしたいのに。

巻き込むのやめてくれ。

 

人に期待しても変わらない

自分の機嫌は自分でとるもの

 

まゆちん先生の本で 穏やかな日が

少しでも多くなる事を祈る。

f:id:okomee15:20220401082717j:image#魂占い#愛を映し出す泉 タイプ

 

 

 

祈り。

父が九州の(たぶん)大学病院に入院してから 母はほぼ毎日 従兄弟のお寺にある滝に打たれに行っていた。 自分の出来る最大限の祈りを 神様に届けたかったんだと私は思うようになった。

 

小さかったし 何度も思い出した想い出なのでもしかしたら 当時の事と今思い出す私の中の出来事とはズレてしまっているかもしれないが、 

母はとても大変だったと思う。

壮絶な日々だったと思う。

 

そのせいか、母は昔の事をほとんど覚えていない。 もともとそんな性格だったのかもしれないが 昔の事を聞いてもほとんどの事が曖昧らしく 思い出せないのだ。

 

そりゃ 子供も5人産んで 日々 家事、育児に追われる中 誰が誰だか、誰の時の何の出来事か ごちゃごちゃになるかもしれないが

私が子を産み 親に教えを乞うても ほとんどと言っていいほどまったく参考にはならなかった。

 

そんな母が 当時壮絶な思いをしながらもしっかり父を最後まで看取り 気がおかしくならずにいられたのは 「本」があったから。だと今でもよく言っている。

 

母方のばあちゃんは「本の虫」

毎日 暇な時は本か新聞を読んでいた。

昔からそうだったらしく じぃちゃんはいつもばあちゃんが若い頃から本を買ってプレゼントしていたらしい。

年老い 目が悪くなったばぁちゃんは大きな虫眼鏡を使ってでも本を読んで 遠方から里帰りする母がお土産にばあちゃんに買っていくものは大体 本ばかりだった。

 

遠方にいるばあちゃん家に行くのはいつも長旅になる為 普段あまり本を読まない私でも ばあちゃん家に行く時は本を買ってもらって読んでいた。

「ぞうのたまごのたまごやき。」という本が中でも思い出に残っている。

 

死について。

私が幼稚園生の頃 父が死んでしまった。

 

なので 多少記憶は曖昧だと思うし、事実とは違った形でインプットされているかもれない。

しかし、父との思い出ははほとんど記憶から消えていても父の死の事はいつまでも心の奥に確かに残り続けている。

 

それを今 どうしても文に書きたくなったので書いてみる。

 

原因は 「肺癌」だった。

 

 

後から聞いた話だが 父の癌は最後まで他の所に転移せず、できた部分で大きくなり続けた。 できた場所が肺だけならば 切り取る事もできたかもしれなかった。

 

しかし できてしまった場所が 喉の気管と肺の間だった為 初期のレントゲン検査でも見つけにくく 見つけたところで 切ってしまうと喉に穴が空き息ができなくなるので切り取る事がだきなかった。

見つけた時にはすでにステージ4。

医者が少しでも癌を切り取ろうと手術を一度おこなったが 手の施しようがなかったと聞いた。大きく開けた父の背中をただ閉じる事しかできなかったそうだ。

後日 父の背中にできた大きな線路の模様を見せてもらった事を 私は今でも覚えている。

父の癌は次第に大きくなり 気管を少しずつ圧迫しながら 肺を片方づつ上から下へ白くさせていった。

 

父の癌が見つかったのは 5月の事。

それから 癌センターやら九州にある大学病院やらに転院をしたりして 亡くなったのがその年の10月。 きっと、あっという間だった。

 

私は兄弟の中でも一番小さかった為 母が行くところに一緒について行った。

 

細身で身長179センチあったスレンダーな父は 入院後 喉に穴を開けられ、管を通され ご飯も食べられず水も飲めず 点滴や管によって命を繋ぎ 最後は顔もこけて病院のベットで小さくなって亡くなってしまった。

 

生前 何度か母について病院いくと 喉に穴を開けた為 声がほとんど出せなくなった父が必死に母に何かを訴える。

筆談にするにも鉛筆を握る力も弱くなり 手は震え 声も届かず 怒ったり 泣いたり 多少暴れたりしながら何かを訴えている。

だか、ほとんど何を言っているのか分からない。

想いはほとんど届かず 父は衰弱していった。

今考えると きっととても苦しかったし、無念だったとおもう。

 

母はどうする事もできず 父の手をただ握って「うん。うん。そうだね。」と頷きながら一緒に涙を流すしかなかった。

 

私は当時 幼稚園年長の歳で 次第に弱く小さくなっていく父を 可哀想とも悲しいとも感じず ただ不思議で涙を流し合う両親を見つめていただけだった。

 

腑に落ちた事。

最近 市の図書館で本を借りて来ました。

主に休日に家族とたまに、思い出した様に行くのですが。

私はスピリチュアルや占いに精通してる本をよく借りて来ます。

読むか読まないかは別なんですが( ´_ゝ`)

借りて来て満足するパターンばっかりです。w


今回借りて来た私の本は

手相や月占いの他「物の怪と龍神さんが教えてくれた 大切なこと」というめちゃカラフルな綺麗な表紙の本を借りて来ました。


借りて来たものの 普段の占いの勉強や日々の生活になんだかんだ追われ

返却期限が切れそうになってました。w

ある夜SNSストレスの解消できるランキング

という記事を読みました。

買い物、運動、音楽鑑賞、、、色々ありましたが一位は 「読書」でした。


その夜 図書館でかりたこの「物の怪と龍神さん」の本を軽い気持ちで開いて読んだら、




、、、怖い((((;゚Д゚)))))))



作者の不思議な体験談がずっと書いてあるのですが 読めば読むほど どんどん深く怖くてなってくる。

こんなカラフルな表紙なのに 後半にかけて内容はどんどん重たくなり 今生きてる事 色々なコトワリ(理) ついには宇宙の事まで!

考えさせられたり なるほどと思ったり 悲しくなったり。


まだ最後まで読めてませんが 一人で夜に読むとめちゃめちゃ怖い本でした。w


でも読んでよかったです。


今生きてる事 大事な事にたくさん気付けて、多くの事を想い感謝したくなり、たくさん涙がでました😂w(情緒不安定かw)


そして 今日またひとつ 私なりの解釈ですが 「そういう事か、、。」と腑に落ちたような気づきがありました。


それは 自分の子供達を夫が愛おしそうにしているのを見ると自分自身がとても幸福感に包まれている事。それは何でかと思ったら 子供の中の自分が喜んでいるんだ。と。


もちろん自分の子だからといっても 一個人の存在として成り立っていて私の所有物みたいなことでは決してないのだけれども、

子供というのは 相手と私の想いや気持ちがたくさん入った存在でいて だから褒められると嬉しいし けなされると悲しい。


子供という存在には私自身も少なからず入っているんだと今朝、玄関を掃除していて思いました。


本日 ママ友になってくれた方が引っ越しをしてしまいました。

理由は 元旦那様のお子様に対する 暴言、モラハラだったそうです。


周りのママ友も 「まさかあのご夫婦が離婚するなんて。」「そんなに仲が悪そうにみえなかった。」「旦那さんそんな人だと思わなかった」と言ってました。


私は引っ越しの話を、幼稚園の送り迎えの時にご本人から聞いたのですが やはり会えなくなるのが寂しいし、他のママ友の話を聞いたら

ただケンカして、お互い意地になり過ぎてしまったのではないか。

何かきっかけがあればまた仲良しな家族になれるのではないか。

できれば思い直して欲しいと1人モンモンとこれまで考えていたのですが。


今朝の自分の気づきを通して 「そりゃ、、、許せないよな。」と納得にいたりました。


子供に暴言を吐いたり 手を挙げたって事は

その子とその子の中のママ友、もちろん旦那さんの事も傷をつけたわけで それはとても許せない事だよなと。

そしてそんな悲しい事がもう起きない様に離婚を決意し、お子様の転校に心痛めながらも引っ越しをする彼女は凄いと、お子様とお子様の中にいるご自身と旦那様も守ったんだなと勝手に解釈しました。


人は人を安易に傷つけてはいけない。


その人が存在しているのは 今まで誰かの想いが 優しさが 愛情が あったから今生きていられる。生きてくれと誰かが想ってくれたから

今日まで命が繋がった。

1人の人の中にも沢山の人達が「想い」として入っている。

それを想うと 人は1人でもとても尊い

尊いんだよ。

平気で人を傷つけてもいいと勝手に思うあんたも尊い存在なんだよ。


そんな生き方してていいんか。

今 いるだけでたくさんの人の想いが入っとるんだぞ。 



ふと思い出した、ジブリのセリフ

「命を大事にしない奴なんて 大嫌いだ。」


なるほど、それな。