死について。

私が幼稚園生の頃 父が死んでしまった。

 

なので 多少記憶は曖昧だと思うし、事実とは違った形でインプットされているかもれない。

しかし、父との思い出ははほとんど記憶から消えていても父の死の事はいつまでも心の奥に確かに残り続けている。

 

それを今 どうしても文に書きたくなったので書いてみる。

 

原因は 「肺癌」だった。

 

 

後から聞いた話だが 父の癌は最後まで他の所に転移せず、できた部分で大きくなり続けた。 できた場所が肺だけならば 切り取る事もできたかもしれなかった。

 

しかし できてしまった場所が 喉の気管と肺の間だった為 初期のレントゲン検査でも見つけにくく 見つけたところで 切ってしまうと喉に穴が空き息ができなくなるので切り取る事がだきなかった。

見つけた時にはすでにステージ4。

医者が少しでも癌を切り取ろうと手術を一度おこなったが 手の施しようがなかったと聞いた。大きく開けた父の背中をただ閉じる事しかできなかったそうだ。

後日 父の背中にできた大きな線路の模様を見せてもらった事を 私は今でも覚えている。

父の癌は次第に大きくなり 気管を少しずつ圧迫しながら 肺を片方づつ上から下へ白くさせていった。

 

父の癌が見つかったのは 5月の事。

それから 癌センターやら九州にある大学病院やらに転院をしたりして 亡くなったのがその年の10月。 きっと、あっという間だった。

 

私は兄弟の中でも一番小さかった為 母が行くところに一緒について行った。

 

細身で身長179センチあったスレンダーな父は 入院後 喉に穴を開けられ、管を通され ご飯も食べられず水も飲めず 点滴や管によって命を繋ぎ 最後は顔もこけて病院のベットで小さくなって亡くなってしまった。

 

生前 何度か母について病院いくと 喉に穴を開けた為 声がほとんど出せなくなった父が必死に母に何かを訴える。

筆談にするにも鉛筆を握る力も弱くなり 手は震え 声も届かず 怒ったり 泣いたり 多少暴れたりしながら何かを訴えている。

だか、ほとんど何を言っているのか分からない。

想いはほとんど届かず 父は衰弱していった。

今考えると きっととても苦しかったし、無念だったとおもう。

 

母はどうする事もできず 父の手をただ握って「うん。うん。そうだね。」と頷きながら一緒に涙を流すしかなかった。

 

私は当時 幼稚園年長の歳で 次第に弱く小さくなっていく父を 可哀想とも悲しいとも感じず ただ不思議で涙を流し合う両親を見つめていただけだった。